
江戸時代、仙台藩の「袖ヶ崎屋敷」には、滝があり、流水、橋があり、品川の海、遠景に富士が見える美しい庭園と景観があることで知られていました。島津山の由来は明治期にこの仙台藩伊達家から島津家に邸が譲渡されたことに始まります。
明治十四年に天皇行幸の栄を賜った島津邸は、その後もジョサイア・コンドルの設計を経て洋館が完成したことにより、ますますその名声が高まりました。現在もその建物は清泉女子大学の施設として変わらぬ威容を誇っています。
高台に住まうということ、それは多くの人々の憧れを誘い、いつしか誇りの象徴となりました。
島津山の地に流れる時間には、揺るぎない伝統を受け継ぐ静かな誇りが、今もなお満ちているのです。
清泉女子大学アプローチ (約170m・徒歩3分)
江戸時代、城南の地域に小高い丘のひとつをそのまま占有していた大名屋敷が、やがて華族たちの屋敷となり、城南五山の名に代表される高級邸宅街になりました。
御殿山は将軍家の「品川御殿」があり、後には財界人の屋敷が並びました。
池田山は岡山藩主・池田家の下屋敷があり、明治以降も引き続き池田家の屋敷がありました。
花房山は外交官・花房義質(よしもと)が一帯を入手したことからその名が付きました。現在も子孫の方が、邸宅を構えています。
八つ山は品川と高輪との境にあった丘の呼称ですが、現在は切り崩されたため、その名前だけが今に伝わっています。
眺望にすぐれ、周囲とは隔絶した世界が広がる丘の上の暮らしは、かつては限られた方々だけに受け継がれたものなのです。
御殿山
池田山
花房山
八ツ山